2009年8月2日日曜日

読書:若者はなぜ殺すのか~アキハバラ事件が語るもの~

「若者はなぜ殺すのか~アキハバラ事件が語るもの~」を読んだ。

丁度大学の法学部の友人から秋葉原事件に関心があるならこれを読んでみるといいと勧められその友人から借りることにした。

読み進めると正直考えさせられるものである。

かくいう俺も以前はブログなどで「殺人犯などもともと生まれつきのクズだから処刑されて当然」とか「ゴキブリ(=凶悪犯)に人権はいらない」、またその犯罪者を名指しにして「あんな物体、生まれてこなきゃよかったのに」といった事をブログや公衆の面前で堂々と主張していた。

このことに関してもその友人からはいろいろ教え諭されてあらためて考え直した。

といっても一方的に俺の考え方を否定するようなことはなく俺の意見や考えも尊重しつつ、俺の考え方には大きな偏りがあるのではないか、またその発言を聞いて気分を害した人もいるのでは、と俺を説得。

俺は一個人の人格の評価として、その友人が好きになった。

人の考え方を頭ごなしに否定せず、相手の考えを認めながら柔軟に説得。

このような人物はすごくいい。

話が少し外れたけど元に戻す。

この本は秋葉原事件をはじめとするの無差別殺傷事件から背景にある犯人の青年の孤独、そしてその孤独は現在の多くの若者を取り巻いていること。そして本来なら受け止めてくれるべきであろう存在がない(親でもだれでも)ということ。さらにはいじめ、若者の自殺、、さらには子供の気持ち、声を無視して周りと比較してそれを子供たちに強制し子供たちの声を聞かない親、そして親殺しと子殺しの背景など現代日本を取り巻く深刻な病理を扱っている。

俺はこの本を読んでいて自分の事とも照らし合わせてみたり自分の事に付いて考え込むことがしばしあった。(で、昼下がりにタリーズコーヒーで読んでいて気が付いたら日も落ちて既に夜ということも多々ある)

実を言えば、俺は過去にいじめを受けていた。

そのころは過酷な時代だったが、幸いにも親も俺のことに耳を傾けてくれたし俺のことを気にかけてくれた。また古くからのなじみの友人も俺の見方をしてくれたので、俺はなんとかやってこれた。

だがここで取り上げられている各種の事件を起こした者は家族にも受け止めてもらう事が出来ずに見はなされ、それにより自己の崩壊、最終的には自暴自棄になって惨劇を起こすというもの。

まかり間違っていれば、俺も自殺していたか、はたまた取り返しのつかないことをしていたという危険も無きにしも非ず。

だが自分について別の角度から考えてみた。

奴らを見返すべく(これには自分のエゴもあったか)地元のトップの高校に入り、一流の大学に入るという事だけを考え、常に勉強することだけを考えそれ以外のことは考えなかった。

いまは一応、中央大学(はたして中央大学は一流大学の範疇か?)の学生である。

そのころから、常に自己を確立するという格闘もあったのではないかと

勉学で上に立ち、それまで自分をいじめてきた連中が格下だったら思いっきり踏みつぶせると考えたのである。

それで現在では中央大学の名の下、自分をいじめてきた連中を「なんだ、高卒のクズか」や「なんだよこの大学、Fランクじゃん」や「高校辞めたんだ」と、学歴を鼻にかけて完全に自分が上にいると思うようになった。

だが、中央よりも上の大学も多いし中央で本当にレベルが高いのかと疑問に思う事もまれにあった。

このことに関しても俺の友人は俺の階層意識(格付けとか大学のランクや何か)が非常に強いのではないかと

これに関連してだが、現在では学歴についても、親が子供を成績で他人と評価をし、それで評価をし、罰するという所謂「教育家族」というものもある。

ここでの子供たちは親に圧迫され、自分の声を聞いてもらえない。

この本で扱われたいくつかの事件においてもやはりその傾向があったようである

一方の俺の方は成績に関してもいじめの影響からか塾で刷り込まれたからかすでに成績や学歴のことが頭で形成され「トップの高校に入れなかったら終わり」、「一流の大学に入ったっ者しか一流の人間になれない」、「トップレベルの大学に入ればそのまま大会社で金儲けできる」、「俺は自分の利益のことしか考えられない」と常に主張していた。これでいつも親から怒られた。「トップの高校に行ったがために大失敗する人だっている」「大学で人生が決まるわけじゃないし有名なとこがすべてじゃない」「なんでお前はそんなにつまらない人間なんだ」と。特に親父にはこっぴどく怒られた。

まあ、有名なとこに入ったからといって入っただけでは何もならないという事を大学に入ってから実感するようになった。

まあ、自分としてはそこから自分の存在意義、自分の「個」を確立するための闘争でもあったのではと。

このころから俺は差別主義、排他主義、階層意識、右翼主義が定着し、それで動くようになってたが(とくに言動ではその発言が非常に多い)

まあ、あの頃の勉強への考えや、その一流のレベルの高校、大学に入るという考えで俺は烈火のごとく内面では燃えていた。

気炎万丈のごとく意気揚々と


俺を振り返ると、自分はやはり家族、友人においてはかなり恵まれているようにも感じられた。

自分のことを聞いてくれ、正しいことは正しいと評価し、間違っていれば叱ってそれを糺してくれる親。
そしてお互いに腹を割って自分のことを話すことができ、信頼できる古くからの親友。

この点ではかなり恵まれてたと思う。

一方の彼ら(無差別事件の犯人)などはこれらに恵まれなかったのだろう。

とりあえずまずは自分をまっとうに育ててくれた親、そして自分のことをよく聞いてくれた親友に感謝。


そしてこの本を通して考えたこととしては、事件やその犯人を単純に「クズ」と切り捨てるのは極端ではないか、また何も考えずにその「クズ」で片づけていいのかと

今の日本ではメディアの洗脳も甚だしいものだ。

それで表面の事実ばかりに囚われて本質が見えなくなっている。

どうやら簡単に善悪二元論ではまとめられないようだと俺は思った。


この「若者はなぜ殺すのか~アキハバラ事件が語るもの~」は読むと相当考えさせられる内容の本だ。
おそらくこれは今後同じような惨劇を起こらないようにし如何にして食い止めよぼうするかという事についても考えた。

この本は小学館新書だから割と読みやすい


最後に、余りにも中途半端な内容の長文になってしまって申し訳ない、無駄に長くて何が言いたいのかというのもまとめられず分からないもので本当に申し訳ない。


ただ、俺はこの本で考えたことまとめては見た


と、日記書いてたらまたこんな時間になってしまった

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